チェリー(21)

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「特別って、どんなことだろう?たとえば、ある特定の分野に関して特別な能力を持っているとか。さっき、きみはぼくのことを特別だと言ったね?ぼくの特別さは、きみの求める特別さなんだろうか?」
「私は、あなたの特別さがとても好きよ」彼女はぼくの耳元でささやいた。
「あなたは、あなたにしかできないしゃべり方で私にこうやって話しかけてくれる。あなたにしかできない考え方をして、あなたにしかできない行動をする。それは、だれにでもできることじゃないのよ」彼女はぼくを見上げて言う。彼女のまなざしは、どこまでもやさしい。
「ねえ、どうしてそんなことがわかるの?」
「言ったでしょう?ベッドの中ではなんでもわかっちゃうのよ」彼女はそう言った。まるで歌うように。
「本当はね」、彼女はうちあけるようにささやいた。「はじめてあなたを見たときからわかってたのよ。あなたは特別な人間だって」
「あなたのことは、とても好きよ」彼女はそう言ってぼくにキスをした。
彼女からそう言われると、ぼくは少し緊張した。心臓がおおきな音をたて、ちょっとだけ息が苦しくなる。


「ねえ、ところでそれは何?」
彼女は、ぼくが時折見ている紙を指差してそう言った。ぼくは彼女と会ったら話そうと思っていたことや、想定される会話をあらかじめ紙に書いていた。彼女にはたくさん聞きたいことがあって、ぼくについてもたくさん話したいことがあった。それらを忘れてしまわないよう、そして憶えきれない言い回しや単語も併せて書き込んでいたのだ。
「カンニングペーパーだよ、」ぼくはそういって彼女に紙に書いてあることや、その理由を説明した。
「あなたは、私がどう答えるかも予想して、それを書いたのね?」
「そうだね。あらかじめ考えられる事柄は全て想定してみたんだ。なにしろ、時間は十分にあったから」
「あなたはやっぱり頭が良いのね。こうなることも、はじめからわかってたの?」
「いや」とぼくは言った。「先のことがわかる人間なんていないよ」
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# by supertoyz | 2009-11-25 19:53 | チェリー

チェリー(20)

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たしかにそうかもしれない。お互いの言葉が理解できないからこそ、ぼくたちはお互いのこころを通わせようとした。表面的な言葉に頼らずにお互いを見て相手を理解しようとし、自分の気持ちを伝えようとした。それが無意識のうちであったとしても。
「きみは、いつも正しいことを言うんだね」
彼女はそれに対してなにか言ったけれど、ぼくはうまく聞き取ることができず、今なんて言ったの、と訊ねた。
ぼくが知らない言葉を彼女が言うたびにそうやって訊ねると、彼女はいつもぼくの耳に唇を近づけ、ささやくようにしてもう一度同じ単語を繰り返した。同時に彼女はぼくの手を取って、ぼくの手のひらに、自分の指先でそっとその単語を書いた。すごくくすぐったくて、ぼくはいつも彼女がぼくの手のひらに書いた文字や、彼女が耳元で言った言葉に集中できなかったけれど、彼女のそういった仕草がとても好きだった。

 彼女は、くすぐったそうにするぼくを見ては、くすくす笑っている。彼女が笑うリズムにあわせて、ベッドがゆれる。ぼくは、あらためて彼女のからだを見た。以前と変わらず、とても美しかった。ぼくは今まで、彼女ほど美しいからだをした女の子を見たことがない。
「きみのからだは、とてもきれいだね」ぼくがそう言うと彼女はとても恥ずかしがり、頭からシーツを被って隠れてしまった。彼女のからだには(頭髪や眉を除いては)体毛と言うものがほとんど生えていなくて、つるりとした、とても美しい手足をしていた。そのことをぼくが言うと、彼女は顔だけをシーツから出し、そうよ、と彼女は言って自慢げな表情を作ってみせた。彼女はいつもオーバーアクションぎみで、それが彼女にはとてもよく似合っていてかわいかった。そのことも彼女に言うと、彼女はまた恥ずかしがってシーツの中にもぐりこんでしまった。


「ねえ、きみの好みのタイプはどんな男性なの?」
ぼくも彼女と同じようにシーツに潜りこみ、そう尋ねてみた。もし彼女の答えが、実際のぼく自身とあまりにかけはなれていた場合にショックを受けることが予想されたけれど、やはり訊かずにはいられなかった。彼女はぼくの方へからだの向きを変え、ぼくの目を覗き込むようにして「特別な人」とだけ言った。
「それだけ?」ぼくは訊いた。
「それだけ」彼女は答えた。
ぼくは「背が高い」とか「優しい」だとか、どういった髪型だとか、そういった答えを想像していただけに、少し面食らってしまった。
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# by supertoyz | 2009-11-25 19:52 | チェリー

チェリー(19)

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ぼくは以前と同じように、とてもゆっくり、時間をかけながら彼女を抱いた。 そして、1年2ヶ月前の彼女とはふたつだけ、違う点があったことにぼくは気づいた。 ひとつは、ぼくを受け入れるように両手を拡げベッドの中へとぼくを招き入れたこと。 もうひとつは、声を隠そうとしなかったこと。 たった一度以前に彼女と寝たとき、彼女はぼくとの行為を半ば義務だと認識しているように思えた。セックスをする前の彼女、終えた後の彼女はとても優しく親密だったけれど、行為の最中だけは心を閉ざし、ぼくを受け入れまいとする彼女の強い意思を感じた。彼女は行為のあいだじゅう、ずっと目を閉じてぼくの顔を見なかったし、声を押し殺そうとし続けた。もちろん彼女は(そのとき)娼婦だったし、その姿勢はまったく当然のことだと そのときぼくは思った。でも今は違う。彼女は明らかにぼくを受け入れている。こころも、からだも、もう閉ざしてはいない。ぼくの腕の中の彼女はとても優しく親密だった。

 ぼくが彼女の反応を確かめながら彼女を抱く間、曲はナイン・インチ・ネイルズの「クローサー」へ、クリス・レアの「フール」へ、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」へ、ガンズ・アンド・ローゼスの「ノーベンバー・レイン」へ、クリストファー・クロスの「オール・ライト」へ、TOTOの「アフリカ」へ、マット・ビアンコの「ヴェンガ」へと変わった。コンドームを着けようとしたとき、彼女はそれを制し、中で出して、と言った。ぼくが彼女の中に射精する瞬間、彼女は以前と同じようにぼくを抱きしめてため息を漏らしたけれど、気のせいかそのため息は少し悲しそうだった。それはぼくに理由のない違和感を感じさせ、そして今日最初に彼女を見たときに感じた現実性の無さを思い出させた。行為が終わった後、彼女はベッドサイドにあった紙とペンを取り、あの晩と同じように HOME , YES NO と書いてぼくに渡し、いたずらっぽく笑った。もちろんぼくは「NO」を指差して、このままここにいて欲しいんだ、そう言うと彼女はぼくにキスをし、なぜか楽しそうにベッドの中に潜りこんだ。ぼくは彼女の手を握り、もう一方の手で彼女の頭を撫でた。彼女は顔の上半分だけをシーツから覗かせていて、ぼくを見上げている。
「ねえ、ぼくは毎日きみのことを考えたんだ。きみは今どこにいて、何をしているんだろうか、ってね。すごく寂しい気持ちになるときもあったけれど、そんなときは空を見上げたんだ。空はどこまで行ってもひとつだからね。今きみも同じ空の下にいて同じように空を見上げているといいな、そう思ったんだ。きみのことを考えない日はいちにちたりとも無かった」
ありがとう、そう言ってチェリーはぼくの手を強く握り返し、起き上がってぼくにキスをした。彼女は事あるごとにぼくにキスをしてくれる。
「もっと自由に中国語を話せて、もっときみの言うことを理解できて、ぼくが考えていることを思い通りに伝えることができたらどんなに良いだろう」
 ぼくがそう言うと彼女は「大丈夫」、と言った。「あなたの話し方や、表情であなたの気持ちはとても良くわかるの。本当よ」
「もし私たちがはじめからこうやって話をできていたら」彼女は続けた。
「お互いにこうやって気持ちが通じ合うこともなかったかも知れない。そう思うことはない?」
ぼくは少し考え、うなずいた。
「そうかもしれない」
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# by supertoyz | 2009-11-25 19:51 | チェリー

チェリー(18)

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「はじめて会ったとき、あなたは私になんか興味がなくて、ただ単に性欲の処理をするためだけに私と寝るんだと思ってたのよ。他の男の人がそうするように」
「寝る前はあんなに素っ気なかったのに、はじめるととても優しくて、そして射精するときに私の名前を呼んでくれたでしょう?」
「うん」
「それがとても意外だったのよ。てっきり私には関心が無いと思ってたのに。きちんと名前をおぼえていてくれたのね?」
彼女はそう言うとソファを立ってぼくの前に立ち、両手でぼくの顔をはさんで頭を抱きかかえるようにしてぼくにキスをした。
「わかる?すごく、嬉しかったのよ」
そう言った彼女の目は宝石のように美しく輝いていた。

「ねえ、あのとき、すごく不思議な感覚になったのよ。いままで感じたことが無い、とてもあたたかい気持ち」彼女はもういちどぼくの横に並んでソファに座った。彼女のからだはぼくのからだとぴったりとくっついていて、彼女からはとても良い香りがした。これもフェロモンかもしれない。
「それは、性的な快感のことかな?」
 ぼくがそう言うと、彼女はバカッ、と言ってぼくの背中を叩いた。住む国が違っても女の子の反応というのは万国共通なんだな、とぼくは変に感心した。彼女はぼくのひざの上に手をのせると身を乗り出し、恥ずかしそうにこう言った。「でも、あのとき、私すごく感じてたでしょう?あんなこと初めてなのよ。今まで誰に対しても感じたことの無い感覚をあなたに感じたの。その感覚を失いたくなくて、それを大切にしたくて娼婦をやめたのよ」

 パラパラと部屋の外で音がする。雨が窓を打ち始めたのだ。そういえばここ数日雨なんて降らなかったな。ちょうどポータブル・オーディオ・プレーヤーが再生する曲が終わり、次の曲がはじまるまでの間、ぼくたちの周辺を雨が降る音と静寂だけが支配した。少しして、エレベーターが動くかすかな、ぶううん、という振動が空気を震わせた。

「あなたは、とても特別なのよ」
彼女はぼくの手を握り、親指で優しくぼくの手のひらを撫でていた。
「ねえ、もう一度私を抱いてくれる?あのときと同じ気持ちをもう一度感じさせてくれる?」
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# by supertoyz | 2009-11-25 19:49 | チェリー

チェリー(17)

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なぜ、とぼくは訊ねた。ぼくは話の流れが良くわからず、ずっと彼女の顔を見たままだった。彼女は、ぼくの目をじっと見つめたまま、こう言った。
「あなたが、特別だから」
「ぼくが?」
「わからないな」ぼくは言った。「ぼくは特別で、それが原因できみは娼婦をやめたの?」
「ねえ、聞いてくれる?」彼女はそう言ってぼくの手を強く握った。彼女はいったん口を開きかけ、しかし何から話そうかを決めかねるように一瞬黙り込んだ。やがて、彼女は宙をあおいで大きく息を吸い込むと、ゆっくりと話し始めた。
「私、14歳の頃から娼婦をしていたの」
ぼくはびっくりして、彼女を見た。
「そう、14歳。だから、あなたと会うまでの7年間と少しの間、娼婦をしていたことになるの。今は理由を話す時間が無いけれど、他に選択肢が無かったのよ。その間に取ったお客は570人。あなたは571人目」
ポータブル・オーディオプレーヤーに取り付けたスピーカーからはアリス・イン・チェインズの「ノー・エクスキューズ」が聴こえてくる。自分が売り飛ばした真実を隠す気もごまかす気もない。
「そう、570人。こんな話、聞きたくない?」
 いや、とぼくは言った。努めて明るく振舞っているけれど、彼女が一瞬見せた辛そうな表情をぼくは見逃さなかった。彼女はぼくに話を聞いてほしいのだ。
「570人。とても多くの数よ。ずっとあの商売を続けていて、ひとつだけわかったことがあるの。セックスは男の人そのものなんだ、って。ほら、セックスって人間の根本的で原始的な欲求のうちのひとつでしょう?だから、ベッドの中ではその人の本当の姿があらわれるのよ。男の人って、口ではみんな優しいことを言うけれど、実際ベッドの中ではそうじゃないことが多いの。特に終わった後は。本当よ、とても自分勝手だったり、乱暴だったり・・・」
 彼女の表情はとたんに険しくなり、そこで口をつぐんでしまった。きっと、思い出したくないような事もたくさんあったのだろう。ぼくは彼女に何か言葉をかけてあげたかったけれど、何一つ気のきいた言葉が浮かんでこなかった。でも、と静かに彼女は喋りだした。

「でも、あなたは私にとても優しく接してくれた。あまり喋ってくれなかったけれど、そのぶんとても大切に扱ってくれた」
「喋りたくなかったんじゃなくて、言葉がわからなかったんだよ」
ぼくがそう言うと、彼女はいたずらっぽく笑った。
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# by supertoyz | 2009-11-25 19:48 | チェリー

チェリー(16)


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「Eメールを受け取ったとき、きっとあなただと思ったのよ」彼女はそう言い、ぼくは改めて彼女を見た。彼女は少し雰囲気が変わっていた。やや痩せたように見え、そのぶん美しさや落ち着きが増したようだ。栗色の髪は1年2か月分長くなっていた。白いノースリーブ・シャツを着て以前と同じブルージーンズを履いていたけれど、ジーンズは年月分だけ色が抜けている。前に会ったときも白いTシャツを着ていた。きっと白が好きなんだろうな、そう思った。
 ぼくはどうぞ、と言ってソファをすすめたけれど、彼女は立ったままだった。
「ねえ、あの晩、あなたは別れる前に私に何を言ったか憶えてる?」
 ぼくは、彼女が何を言いたいのか良く理解できなかった。彼女は続けた。
「私に渡したものも忘れちゃった?」
「ラッキー・コイン」とぼくは言った。そうだ、チェリーはあのコインの事を言ってるんだ。
「もちろん、憶えてるよ。あのコインを持っていれば必ずまた会える、そう言った」
「あの時、あなたが言った言葉はわからなかったけれど、言いたいことは良くわかったわ」
 彼女はそう言って履いていたジーンズのポケットからぼくが渡したコインを取り出し、ぼくに見せた。
「ラッキー・コイン。ずっと、離さずに持ってたのよ。だから、あなたが言ったとおりもう一度会えた」

 ぼくはもう一度彼女をきつく抱きしめ、彼女は苦しい、と言った。

 ぼくがあらためてソファをすすめると、彼女はソファに腰かけ、ぼくに訊ねた。
「あなたは、本当に駅前に5日間も座り込んでいたの?歌をうたっていたって本当?」
「本当だよ」
「私を探すために?」
そうだ、とぼくは言った。「どうしてもきみに会って、謝りたかった」
 あの晩、本当はずっと一緒にいてほしかったんだ。それなのにぼくはセックスを終えるとお金のことばかり考えてきみを帰してしまった。きみは傷ついたかもしれない。ぼくが逆の立場だったら、とても傷ついていたと思う。何よりもきみを単なる娼婦としてしか見ていなかった。ぼくは、きみをあんな風に扱うべきではなかった。きみは娼婦以前にとても魅力的なひとりの女の子で、しかしぼくはきみが出て行ってしまうまでそれに気づかなかった。悪いのはぼくだ。ぼくはそう伝えた。次の日、約束通り会いに行けなかったこと、その数日後に彼女に会いに行ったけれどもうすでに彼女が去ってしまった後だったことも。
「あなたは、それをずっと気にしていてくれたのね?」ぼくはそれうまく答えることができず、立ったまま窓にもたれかかり、ずっと窓の外を見ていた。その時刻にしては暗く、今にも雨が降りそうだった。下に目を移すと、救急車が道路を走ってゆくのが見えた。彼女に会えたら、いろいろ訊きたいことや言いたいことがたくさんあったはずなのに、いざ彼女を前にするとそれらを思い出すことができなかった。
 ポータブル・オーディオ・プレーヤーからはZZトップの「スリーピング・バッグ」が聞こえていた。俺の寝袋は薄くて最高さ、さあベイビー、寝袋の中に入って眠りなよ。
「ねえ、チェリー。きみはぼくのことを憶えていてくれたんだね?どうしてぼくのことを覚えていてくれたの?」
その問いに彼女は答えず、こう言った。「ねえ、こっちに来て、私の手を握ってくれる?」
 ぼくは彼女の隣まで行ってソファに腰かけ、彼女の手を握った。
「きれいなマニキュアだね」
 彼女の爪にはマニキュアが塗られていた。そういえば以前はマニキュアが塗られていなかったな、ぼくはそう思った。
「今ね、化粧品店で働いているのよ」
「化粧品店で?」
「あなたと会った日を最後に、娼婦をやめたの」
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# by supertoyz | 2009-03-31 08:17 | チェリー

チェリー(15)

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彼女が部屋を出て行ってすぐ、再びドアのチャイムが鳴った。やれやれ、またリー・リンか?今度は何だろう?そう思いながらドアを開けると、そこには彼女でなくチェリーが立っていた。ブラウン・ヘアー、ブルー・ジーン。彼女の栗色の髪は、ぼくが憶えていたよりも少し長く伸びていた。彼女はなぜここにいるのだろう?ぼくはうまく状況をのみこめず、ただただ立ち尽くすだけだった。
「ハロー」彼女は言った。
「ハロー」ぼくも同じように答えた。
「女の子を呼んでいたのね?」彼女はリー・リンが去っていった方を指差し、そう言った。口を尖らせている。とんでもない誤解だ。しかもぼくはバスローブ一枚を身に着けているだけだった。ぼくは今、とても不利な状況にある。シャワーを浴びていたときに突然リー・リンが訪ねてきたのだ。
「違う、呼んでないよ。彼女が勝手にやってきたんだ」
ぼくがそう言うと、彼女は驚いて目を丸くした。彼女の目はもともと大きかったけれど、それがいっそう大きくなり、その後に眉をひそめてこう言った。彼女は実に表情が豊かだ。
「中国語が話せるの?」
「少しだけ」ぼくは答えた。「どうしてもきみと会って話がしたかった。だから、言葉を覚えてきたんだよ」
「信じられない」彼女は驚きを隠せない様子でそう言った。
「あなたは、とても頭が良いのね。前に会ったときは全く話せなかったでしょう?」
 彼女がぼくのことを憶えてくれていることはわかった。でも、今は彼女の誤解を解く必要がある。「とにかく、女の子は呼んでないんだ」ぼくは言って、彼女はふうん、と言って背伸びしながらぼくの肩ごしに部屋の奥を覗き込んだ。不満そうだった。
「部屋の中に入っても良い?」
「もちろん」ぼくはそう言って彼女を招き入れた。
彼女は注意深く部屋の中やバスルームを観察し、きちんとメイクされたままのベッドを見て「どうやら本当みたいね」と言って嬉しそうににっこり笑い、ぼくに向き直った。そのまま彼女はぼくの方にまっすぐやってきて、ぼくにぶつかる寸前、いやぶつかるまで歩み寄った。ぼくは思わずあとずさりし、ぼくは彼女に押されるがまま壁に押し付けられる格好になった。
ぼくが彼女の行動の意味がわからず戸惑っていると、彼女はこう言った。
「抱きしめてくれないの?探し物が目の前にあるのに」
「ごめん、忘れてた」ぼくはそう言って彼女を抱きしめ、彼女はぼくの頬にキスをした。

あれほど探し続けたチェリーが目の前にいる、でもあまりに唐突すぎて現実感に欠けていた。
「どうしてこの部屋がわかったの?」ぼくはチェリーに聞いてみた。彼女は背負っていたリュックサックから携帯電話を取り出し「Eメール」とだけ言った。
「私も理由が知りたいの。友達がね、ここに私を探している日本人が居るってメッセージを送ってくれたのよ」
 ぼくは、リー・リンのことを説明した。彼女が友達にぼくについてのメッセージを流し、その友達(もしくは、そのまた友達)がチェリーにメッセージを送ってくれたんだ。ぼくはチェリーにそう説明し、凄いネットワークだね、ぼくは感心してそう言った。
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# by supertoyz | 2009-03-31 08:15 | チェリー

リー・リン(1)


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ぼくは部屋に戻り、ベッドに腰掛けるとリー・リンがくれたメモを見つめた。これでもうひとつ前進だ、そう思った。ここから何とかたどって行って、チェリーに行き着けるかもしれない。彼女は、ばらばらになってしまったぼくのこころをもういちど組み立てるパズルの最後のピースだった。そしてそれだけが欠けている。

 ぼくはチェリーの言動や身なり、容姿から手がかりになるものが無いか、もう一度あの晩のことを思い起こしてみた。想定できる可能性はすべて考慮に入れておこうと思った。ひとしきり考えた後にシャワーを浴びていると、ドアのチャイムが鳴った。誰だろう。当然ながら誰も尋ねてくる予定など無い。ぼくはシャワーを止め、軽く体を拭いてからバスローブを着てドアを開けた。
リー・リンがそこに立っていた。
「どうしたの?」ぼくは聞いた。
「お目当ての彼女は見つかった?知り合いにはEメールを流しておいたんだけど。これでね」
彼女は手に持った携帯電話をぼくに振って見せた。
「ありがとう。でも、残念ながらまだみたいだね」
彼女は何も言わず、ドアの隙間から、するりと部屋に入ってきた。片手でゆっくりと着ていたシャツのボタンを外しながら、「ねえ、本当に私は要らない?安くしておくけど」と言った。もう片方の手でぼくの胸を触ろうとしたのでぼくはあわてて彼女から離れ、「ごめんよ、本当に申し訳ないけれど、やはりきみと寝るわけにはゆかないんだ」、ぼくはそう言って彼女が服を脱ごうとするのを制した。リー・リンには不思議な雰囲気があった。彼女がぼくを誘惑しようとすると、部屋の空気が濃密になるのがわかった。これがいわゆるフェロモンというやつかもしれない。
「いつかきみを求めるときが来るかもしれない、でも今はそのときではないんだ」ぼくは彼女の機嫌を損ねないよう、出来るだけ丁重に彼女の申し出を断った。
「良くわからないんだけど」彼女は言った。「あなたは何のためにその子を探しているの?寝るのが目的ではないと言ったわね?寝るためではなく何のために娼婦を探すの?」
ぼくはその問いにうまく答えることができず、黙っていた。リー・リンはぼくの気持ちを察したのだろうか。彼女はベッドに腰かけて、こう言った。
「ねえ、差し支えなかったら彼女のことを聞いても良いかしら?」
「どんなことを?」
「全部」と彼女は言った。私にわかるように説明して。
「彼女との間に何があったの?それは、わざわざ日本から彼女を探しに来るほどの事なの?」
「たいした事じゃない」ぼくは言った。ぼくにとっては大きな出来事だったけれど、チェリーにとってはそうではなかったかもしれない。たいした事じゃないんだ、そう言ってから、ぼくはチェリーとの間に起きたこと、そしてなぜぼくが今ここにいるのかをゆっくりと話した。リー・リンはずっとぼくの話を聞き、ぼくが話し終えたときにこう言った。さきほど感じた濃密な空気は、いつの間にかその気配を消していた。
「あなたは、きっとその子のことが好きなのね?」
ぼくはうなずいた。
「会えるかもしれないし、会えないかもしれない。でもぼくは、彼女を探さずにはいられないんだ」
何とか見つかると良いわね、とリー・リンはぼくを見て言った。リー・リンの髪はゆるやかにウエーブしていて、それは彼女に良く似合っている。
「もしも会えたらどうするの?」
「わからないよ。彼女がぼくのことを憶えていなければそこで終わりだし、もし憶えていてくれても謝って終わるだけかもしれない」
リー・リンはぼくの手を握った。ぼくはその手をふりほどかずに握り返した。
「それはあなたの本心?それで良いの?」
「いや」、とぼくは言った。「終わらせたくない」それで終わらせることはできない。ぼくは彼女を求めている。
「どうするの?お金で彼女を買う?愛人契約でも結ぶの?」
「お金で人の心は買えないよ」ぼくは言った。「それは、きみたちがいちばん良く知っているだろう?」
そう、と言ってリー・リンはベッドから立ち上がり、スカートのしわを直した。
「私が必要だったらいつでも呼んでね。ところで、これ貰っても良いかしら?」
彼女は、テーブルの上に置いてあったポストカードが気に入ったようだった。ぼくがしおり代わりに使っていたもので、たまたまそれを挟んでいた本から抜け落ちていたらしい。
「もちろん、構わないよ」ぼくはそう言って、リー・リンは外したボタンを留めると、ポストカードを持っていたバッグに入れた。彼女はドアを開けてからいったん立ち止まって少しだけ振り返り、「その子のことが羨ましいわ」、そう言ってから出て行った。
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# by supertoyz | 2009-03-31 08:12 | リー・リン

中国へ(6)


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彼女は、ぼくがギターを弾きははじめて二日後にやってきた。
「ねえ、私のこと憶えてる?」
ぼくはそう声を掛けてきた女の子には全く覚えがなかった。美人だが、やや化粧が濃い。この辺りの女の子にしては珍しくパーマを当てている。歳は20台前半だろうか?だめだ、思い出せない。
「きみは?」
「カラオケボックスで会ったでしょ?」
「カラオケで?」
「そうよ。あなたは私を選ばなかったけれど。あなたは、いったいここで何をしているの?」
 ぼくは彼女のことを全く憶えていなかった。でも、話の流れからすると、どうやらチェリーと一緒にカラオケボックスへ入ってきた女の子らしい。ぼくは、自分がチェリーを探すためにここでギターを弾いているのだ、彼女にそう説明した。
「チェリーにどうしても会いたいんだ。あのとき、同じ部屋に居たんだね?彼女のことを知ってる?」
「残念だけど」と彼女は言った。「その子のことは知らないわ。あそこにはとても多くの子が出入りしているのよ」
 何としても彼女を見つけたいんだ、どうにかして彼女の連絡先を調べることはできないかな、ぼくはそう聞いたけれど彼女はゆっくりと首を横に振った。
「でも、私の友達なら知っている子がいるかもしれないわ。あとで何人かの知り合いにEメールを送っておいてあげる」
「ありがとう」
「ねえ、ところで、あなた私を買わない?」彼女が突然そう言ったので、ぼくはとてもびっくりした。そしてはじめて、彼女が勘違いをしていることに気づいた。
「いや、ぼくは」
「探している子が見つからなかったらどうするの?私で良ければ」彼女は周囲を見回し、声をひそめて言った。もちろん売春は違法行為だ。
「違うんだ、」ぼくは言った。「きみはとても魅力的だ。でもきみと寝るわけには行かないんだ。ぼくはチェリーを探しているけれど、彼女を買うのが目的じゃない。彼女に謝りたいだけなんだ」
「そう」彼女は不思議そうに言った。「でも、私と寝たくなったらここに電話してね」そういって彼女はぼくにメモを渡した。ぼくも彼女に連絡先やホテルの部屋番号を書いたメモを渡し、何かわかったら連絡してくれるように頼んでおいた。
 ねえきみ、名前は?そう訊くと、彼女は「リー・リンよ」、そう言って雑踏の中に消えていった。

 彼女が去ってしまうと、ぼくは「99」を弾いた。TOTO。未来社会を歌った曲だ。そこでは人間の基本的な感情をコントロールされていて、ひとびとは単なる番号で呼ばれている。愛という感情すらも生まれるはずのない管理社会、そこで「ぼく」は「99番」という番号で呼ばれている女の子に恋をしてしまったよ、そういう歌だ。
 歌い終えるとぼくはギターをケースにしまい、立ち上がった。
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# by supertoyz | 2009-03-22 19:11 | チェリー

中国へ(5)


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その晩、ぼくは夢を見た。
夢の中で、ぼくは彼女を探すのをあきらめようとしている。だってさ、無理だよ。あんなに多くの人の中からひとりの人間を探すなんて無茶だ。だいたい、彼女がそこにいるって保証すら無いだろ?自分に言い聞かせるようにそう言って、荷物をまとめようとするぼく。仮に会えたとしても、どうにもならないよ。彼女はぼくのことを憶えていないかもしれないしね。いい加減、現実に戻ろうぜ。もう十分やっただろ?

 その夢のせいで、目覚めたときはひどく気分が悪かった。たとえ夢の中であっても、彼女をあきらめようとする自分が情けなく、腹立たしかった。ぼくの中では二人の自分が争っている。努力をせずに、なにかを始める前からあきらめようとする自分。今までずっとそうやって生きてきたけれど彼女と出会ってぼくは変わったんだ、どうせなら何もせずにあきらめるよりはやるだけのことはやってみよう。そう考える自分とだ。

 その日駅へ行くまでに、ぼくはギターを買った。ギターを弾いていればもう少し目立つ。ぼくが彼女を見落としても、彼女はぼくを見つけてくれるかもしれない。以前、彼女はぼくの持ち物を興味深そうに見ていたことを、ぼくは覚えていた。彼女はきっと好奇心が強いのだ。いつもの風景にいつもと違うものが混じっていれば、きっと気付く。このまま何もせず座って彼女を探しているよりはましだろう。中途半端に行動して後悔することだけは、もうたくさんだ。そうさ、どうせならやるだけのことはやろうじゃないか。

 買ってきたギターはひどい代物だった。ギターの形をした物体に、なんとなく弦が張ってあるというだけのものだ。音色も何もあったもんじゃない。ぼくは用心深くチューニングをした。
 ギターを買って持ってきたものの、いざ弾くとなると相当に度胸が必要なことがわかった。大勢の人がいる中でギターを弾くなんて初めてだ。しかも彼らは一様に疲れ、殺気立っているようにも見える。どう見ても日本人に見えるであろうぼくがそんな中でギターをかき鳴らしでもしたら、彼らの反日感情を煽ることにならないか心配だったけれど、どうせ彼らだってぼくのことなんか(たぶん)気にしていないんだ。ぼくだって彼らを気にしなければ良いんだ、そう覚悟を決めた。そうだな、何を弾こう。やっぱりこれしかないな、ぼくはデフ・レパードの「ヒステリア」を弾き始めた。歌い始めると、とたんに道行く人が立ち止まり、ぼくを見た。近くに寄ってくる人までいる。きっとこういったパフォーマンスに慣れていないのだ。彼らはぶしつけな視線をぼくに注ぐ。ぼくは緊張し、おかげで2度、歌詞を間違えてしまった。「きみは今夜ひとりなのかな、それを知りたいんだ、ヒステリーを起こしちゃいそうだよ、」
 ぼくはどうにでもなれ、そう思ってポール・ウエラーの「サンフラワー」を続けて歌った。きちんとコーラスまでつけて。
「きみのことが恋しいよ、そう、とてもね、」そう、チェリー、きみのことがとても恋しいんだ。
 ギターを弾き、歌うのは名案だった。演奏に気をとられて周囲を見渡す余裕は減るけれど、その分確実に注目度は上がったようだ。彼女がここにいれば、必ずぼくを見つけてくれるだろう。とりあえずは少し先に進んだと言える。
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# by supertoyz | 2009-03-22 19:09 | チェリー