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中国へ(4)

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ぼくは天井を見上げ、あらためてチェリーのことを考えた。よく考えれば、奇妙な話かもしれない。 一度しか会ったことがなくて、名前くらいしか知らない、しかも言葉さえも通じなかった外国人の娼婦に会いたくてしかたがないのだから。きっと彼女に恋してるんだろうな、と思った。なぜだろう、とぼくは考える。実際のところ、彼女はぼくの好みの女性像からは(少し)外れていたし、はじめは彼女の相手をすることさえ面倒だと思った。でも出会った数時間後、彼女と別れるころには、ぼくはすでに恋に落ちていたと言っても良いだろう。
 ぼくは今まで寝た女性の数を数えてみた。32人。たぶん数に間違いはない。そのうち名前を覚えているのは何人だろう?思い出せたのはせいぜい5人ほどだった。娼婦で名前を憶えているのは?チェリーだけだ。他に寝た娼婦の名前はひとりとして思い出すことができない。ぼくは、もともと人の名前を覚えるのが苦手なのだ。ケイコが言ったように、他人に対して関心が無いのかもしれない。それなのに、なぜチェリーの名前をはっきりと覚えていて、彼女のことだけがこんなに気になるのだろう? ぼくは女性に対して自分がこのような感情を抱くことなどないと思っていた。 でも、彼女はぼくの中になにかを残していって、それはぼくをすっかり変えてしまった。

 次の日も、同じように早朝から駅で彼女の姿を探した。不思議なもので、2日目にもなると、昨日よりも人の動きが良くわかるように思えた。昨日は単なる人ごみにしか見えなかった駅前の人びとも、今日ではひとりひとりの顔や服装を見分けることができるような気がしてきたのだ。目が慣れてきたのかもしれない。また、人びとの行動についてもなんとなく理解できてきたような気がした。そこは大きな駅なので常にたくさんの電車が出入りするのかと思っていたのだけれど、実際には一日あたりの電車の本数はずいぶん少ないらしく、その発着時刻にあわせて人びとはやってきて、また去ってゆく。一日中駅前にいて人の流れを見ていると、同じ人が朝に駅から出てきては夕方に駅へ入ってゆくのがわかる。もちろんその逆もある。なぜか一日中駅前でうろついているだけの人もいる。そのひとりひとりが彼らの人生を生きている。ぼくは彼らの人生にとっては傍観者でしかなく、しかし、彼らはまさか別の国からやってきたぼくにこうして見られているとは考えもつかないだろうな、そう思うとなんだか奇妙な感覚に捉われた。そしてその日も結局、彼女を見つけることはできなかった。
# by supertoyz | 2009-03-22 19:07 | チェリー

中国へ(3)


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案の定、その日はチェリーを見つけることは叶わなかった。夜になり、ぼくはがっかりしてホテルに戻った。鏡を見ると、思ったよりもずいぶん日焼けしているようだった。そういえば、首のあたりがひりひりする。ぼくは、鏡に映った自分に問いかけるようにつぶやいた。
「ぼくは一体、何をしているんだろう?」
結局のところ、ぼくは今日といういちにちを無駄に過ごしてしまったわけだ。もちろん、そう簡単にうまく行くはずはないとはわかっていたけれど、彼女を見つけることができなかったという失望感が強く、その糸口すら掴めなかったことに対して激しい焦りを感じていた。とても疲れていたけれど、ゆっくり休む気にもなれなかった。もしもこのまま同じように日にちばかりが過ぎて行ったら?このままずっと彼女と会えなかったら?

 ぼくはバスルームを出て部屋に戻り、ベッドに腰掛けた。それから「さて」とつぶやいてみた。「さて」の後にはなにも出てこない。口に出してみてはじめて、それは自分自身を落ち着かせるために発した言葉だと気づいた。いったい、どうやってあの人の群れの中から彼女を探し出したら良いのだろう?ぼくは視線をシーツに落とす。このベッドで、とぼくは思った。このベッドでぼくは彼女と寝たんだ。ぼくはそっとシーツを撫でた。まるで彼女のからだを撫でるように。
ねえチェリー、どうしてきみは今、ぼくの横にいないんだ?かつて彼女と過ごした部屋に独りでいると、頭がおかしくなりそうだった。ぼくは思わず立ち上がって窓のそばまで行き、窓の外を見た。眼下には道路が拡がり、実に多くの車や人が行き来していた。チェリー、いったいきみはどこにいるんだ?窓は憔悴しきったぼくの姿も映しこんでいた。ぼくはいてもたってもいられずに窓のそばを離れ、部屋の中を無意味に歩くばかりだった。ひとしきり歩き回った後でぼくはベッドに倒れこむようにして転がり、枕元に置いてあったポータブル・オーディオ・プレーヤーの再生ボタンを押してみた。
「ねえどうしてそんな風に思うんだい、何も難しいことなんてないよ、どうしてなんて聞くなよ、きっと思い通りにゆくさ、」
同じ音程で歌う、双子で構成されたSWIRL360の陽気なハーモニーが聞こえてきた。
 そうかもしれないな、とぼくは思った。もっと気楽に考えよう。まだ1日目だ。何も難しいことなんてないのかもしれない。たった一人の女の子を探すだけだ。とにかく今日は終わりつつあるし、明日がやってくる。明日も同じようにチェリーを探そう。
# by supertoyz | 2009-03-22 19:06 | チェリー

中国へ(2)

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実際に駅の前に立つと、想像よりもずっと人の往来が多いことがわかった。ぼくは少しづつ場所を替え、より多くの人を1度に見渡せる場所を探し、ここぞと思う花壇のへりに座った。しばらくの間ぼくは行き来する人を眺め、その中から彼女を見つけようとしたけれど、あまりに人が多すぎて、どこから探せばよいのかすらも見当がつかない。彼女は背が高かったので、背の高い女性に的を絞ろうとしても、人が密集しすぎてそれすらもうまく行かなかった。どうにもこうにも人が多すぎる、この中から(仮に彼女がいたとしても)彼女を見つけ出すことは困難かもしれない、そういった不安がぼくの頭の中をよぎった。
 いったん駅の中へ入って路線を確認すると、この駅からは長距離列車も発着しているようだった。中継地点でもあるらしい。多くの人が列車を待ち、それでも駅に入れない人々が駅前に溢れていた。人々は大きなかばんや包みを提げ一様に疲れ果てていて、それはぼくに以前映画で見た、列車を待つアウシュビッツの人々の群れを連想させた。身なりはくたびれているのに、逆に目つきだけは一様にするどく、ぎらぎらしている。ぼくの思い過ごしかも知れないけれど、隙さえあればぼくの荷物やポケットを狙おうとしているように思えた。正直に言って、ぼくはとても怖かった。今にも人々が群れをなしてぼくに襲いかかり、身ぐるみはがされてしまうのではないか、そんな錯覚がぼくの頭を支配して離れなかった。
 とにかく行動するんだ、それしかない。今出来るのは、この駅前で彼女を探すことだけだ。ぼくが駅前の花壇に座り込んで数時間たったころ、途切れ途切れにサイレンを鳴らしながら車に乗った公安(日本でいえば警察だ)がぼくの方へやってきた。まずい、とぼくは思い反射的に逃げようとしたけれど、ここで逃げるのはあまりにも怪しい。うまく逃げおおせても、それではまた戻って彼女を探すことはできない。ぼくはパスポートとホテルのカードキーの所在を確かめ、立ち上がって車が停まるのを待った。
 「ここで何をしているんだ」と彼らはぼくに聞いた。高圧的でもその逆でもない、平坦な口調だった。面倒くさそうにも聞こえる。ぼくは日本人で、ここで人を探している。ただその人の住所はわからず、こうやって駅で待つ以外方法はないのだ。ぼくはそう伝え、今パスポートを出します、と言ってから(そう言わずにいきなりバッグに手を入れたところを撃たれてもいけないと思ったのだ。以前映画でそういったシーンを観た)パスポートを取り出し、彼らに手渡した。きちんとホテルに泊まっているし、けして安全を脅かす気はない、そう伝えてホテルのカードキーとバッグも手渡した。彼らはぼくのバッグの中身をざっと確かめてからパスポートやカードキーと一緒に返してくれた。トラブルに巻き込まれないよう十分注意するように、外国人だと面倒なことになるから、彼らはそういって立ち去った。ぼくは、ふう、とため息をついた。これでひと安心だ。
 その後ぼくは一日をその駅前で過ごしながら考えた。ぼくは、とんでもなく無謀ことをしようとしているんじゃないか?この人の群れから一人の女の子を捜すなんて無謀に近い。仮にこの人ごみの中にぼくの親兄弟がいたとしても探し当てることは困難だろう。それほどまでに人は多く、見通しが悪かった。
# by supertoyz | 2009-03-22 19:05 | チェリー

中国へ(1)

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ある程度のお金が貯まり、なんとか会話が出来る程度の中国語を習得すると、ぼくは2週間の休暇を取って中国へ行くことにした。目的はただひとつ、チェリーを探すことだった。もちろん何一つ手がかりなど無いし、何か当てがあるわけでもない。はじめてチェリーと会ってから、1年2ヶ月の歳月が流れていた。チェリーは22歳か23歳になっている筈で、それくらいの年齢だとチェリーの生活に大きな転機が訪れている可能性だって十分ある。もうあの街には住んでいないかもしれない、そう思ったけれど、ぼくは彼女と出会った街で彼女を探すより他に方法を考えつかなかった。わずかな手がかりであっても掴むことが出来る可能性があれば、それにすがるしかなかった。

 ホテルにチェックインした後、フロントに頼んで持ってきてもらった人名電話帳を使って彼女の名前を探したけれど、そこに彼女の名前は載っていなかった。他の苗字に比べて彼女の苗字は珍しいものらしく、該当する苗字の記載は少ないことがわかった。そこへ一軒一軒電話して彼女の家かどうか確かめる方法もあったけれど、それは現実的ではないようにも思えた。母親や父親が電話口に出たらなんと言うんだ?「お宅のお嬢様を買おうとした者ですが、ちょっと話があるんです」。だめだ、話にならない。この方法は最後の手段だと考えよう。それに、ぼくに言った名前が本名だという保証もない。

 チェリーを探すためにぼくが採ったやり方は至ってシンプルだ。この街で一番人出が多いと思われる場所。一番大きな駅の前に一日中居座り、行き来する人の中から彼女を探し出すのだ。彼女の手や指はとても綺麗だった。からだも日に焼けていなかった。あの手やからだは農家出身者のものではない。もしも彼女の実家が農家であれば、その手伝いなどで恒常的に外出する機会は少ないかもしれない。しかしそうでなければ、毎朝勤めに出たり、他の理由でも外出する機会があるだろう。もちろん外出するにしても他の駅を利用するかもしれないし、他の交通機関を利用する可能性だってあり得る。この1週間、ここと決めた駅前でチェリーを探し、それでも彼女が見つからなければ次に人が多そうな駅へ行こうと思った。それでだめならバスターミナルだ。まず可能性の大きなところから探すことにしたのだ。仮に今回チェリーを見つけることができなくても、また探しに来れば良い。何度でも来てやる。
# by supertoyz | 2009-03-22 19:04 | チェリー

チェリー(14)

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確かに出会ったきっかけは売春だったし、ぼくとチェリーはセックスという関係からからはじまった。客観的に見れば、ぼくは出張先で買った(正確にはお金を払っていない)娼婦に入れ込んでいる男、ということになる。こうやって言葉にしてみると、日本人女性に相手にされず、お金を餌に中国人妻をもらう中年日本人みたいだな。そう思った。どう考えても、世間一般の常識や倫理を逸脱した行為であることは自分でも分かっているし、どんな事情があるにせよ、チェリーが娼婦である(または「あった」)という事実は変えることが出来ない。チェリーはなぜかは分からないけど、あのホテルを拠点とした売春行為をやめてしまった。郷里(というものが彼女にあればの話だが)に帰ったのかもしれないし、収入が安定した彼氏ができたのかもしれない。もしくは結婚したのかもしれない。何度も考えたことだけれど、チェリーにとってぼくは大勢の客の中の一人であって、とうに忘れ去られているかも知れない。それでも、ぼくはチェリーを求めずにはいられなかった。仮にもう一度会えたとしてどうする?ケイコの言うとおりだ。会ってどうすることも出来ない。でも、ぼくはチェリーにひとこと謝りたかった。謝った後で、ぼくの正直な今の気持ちを伝えたかった。

 ぼくは、引越しをした。ケイコと別れたことで少しナーバスになっていたし、良くケイコが遊びに来てくれた部屋にそのまま住み続ける気にもなれなかった。港に近い倉庫を安く借りることができたので、そこへ駐車場と住居を兼ねて住むことにした。質素ではあったけれど、バスルームやトイレも付いていたし、住まいにこだわらないぼくには十分だった。

 ときどき、チェリーへの想いに押しつぶされそうになり、夜の高速道路へ車を走らせることがあった。いてもたってもいられなくなるのだ。そんなとき、決まってクリス・デ・バーの「ブロンドヘアー、ブルージーン」を聴いた。ぼくは、「ブロンドヘアー」という部分を「ブラウンヘアー」に替え、曲にあわせて歌った。「栗色の髪にブルージーンズ、彼女はぼくが今まで見た中でもとびきりさ・・・」
カーブにさしかかり、高速道路の継ぎ目を乗り越えるタタン、タタン、という音が心地よいリズムとなって聞こえてくる。高速道路から見た街は光の渦のようだった。ぼくはステアリングを切りながら、彼女のさらさらとした美しい栗色の髪にもう一度触れたい、そう思った。
# by supertoyz | 2009-03-22 19:02 | チェリー